まちかどシンポジウム Part2


【開催日時】

平成18年11月15日(水) 18:00~

【開催場所】

ピッコロ・カプリーチョ(堺区北瓦町2-3-8北條第二ビル)

【プログラム】

開会挨拶

基調講演 テーマ 『住みたい街・行ってみたい街・行って良かった街』
講師 間宮 吉彦 氏(空間デザイナー)
講師 能口 仁宏 氏(堀江立花通ユニオン副会長)
講師 中井 政嗣 氏(千房㈱代表取締役)

懇親会&パネルディスカッション
パネリスト
間宮 吉彦氏
能口 仁宏氏
中井 政嗣氏

司会
福永 恵一(「そや堺ええ街つくり隊」副隊長)

 

以下講演内容抜粋

 

開会の挨拶『そや堺ええ街つくり隊』 隊長 阪本武
皆様、本日は堺東にぎわい劇場第7幕 まちかどシンポジウムPart2「住みたい街・行ってみたい街・行ってよかった街」にご参加ありがとうございます。今回は後ほどご講演いただく空間デザイナー間宮さんが設計いただきましたここ「ピッコロ・カプリーチョ」で開催させていただくこととなりました。オーナーの藤澤さん、この度はご開店おめでとうございます。「そや堺ええ街つくり隊」も応援したいと思っております。がんばってください。今堺では「まちづくり」があちこちで盛り上がってきているように思います。先日も我々の先輩格の「大小路界隈『夢』倶楽部」の方々がNPO法人「自由都市堺・町衆会議」を設立されました。本日も会場にご参加いただいております。我々も負けずにがんばりたいと思っております。
本日は素晴らしい時代のリーダーであります、3人の講師に御講演頂くことになりました。短い時間ではございますが、楽しいお話を聞かせていただけるものと期待しております。

 

第1部 基調講演

講演Ⅰ 間宮吉彦氏

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【はじめに】
今年の2月に阪本順治監督とご一緒させていただき、堺を知るきっかけになりました。
今回、堺東商店街の方の紹介でこの「ピッコロ・カプリーチョ」のリニューアル計画に参加したわけです。そのリニューアルした成果を、今日報告します。
流行っている店を拡張していくという結構難しい仕事です。ですから、失敗したらどうなるか、すごくプレッシャーがありました。

【改装を手掛けて】
隣の呉服屋が退店したことで、空いた空間を大きく広げる際に、空地をポジティブに見ようということで始めました。空間というのはそこに何かアクティブなものがある。そこで、空き室を拡張して人が集まるテラス席を作りました。空間というのは何も無いようなのですが、そこに何かを仕掛けることで何かが生まれてきます。空間としてそこに何も無いが、そこでアクションを起こす”場“(トポロジー)の意味合いがあると思います。隣の空いたスペースを拡張することによって人の集まりが出来る。そういったことを考えました。
前の駐車場があった場所に若い人が集まれるように、テラスを作りました。そこでライブをしたり、お茶を飲むスペースを作ると、「界隈」が出来ます。そうすると隣も「何か新しい事をやってみよう」と、広がっていくことになる。それがトポロジーで、場が場を呼ぶということになるわけです。大きな計画全体を一気に造るのはかなか難しいですが、何かの空間が”きっかけ”になり、さらに広がっていく、その”きっかけ”作りが僕らの役目です。見た目にすごく楽しそうだから人が集まってくるわけです。中身も大事ですが、見た目、景観、デザインがそれを表現している。それを、僕がひとつの手法としてここでやったということで、空間デザインは最終的には”場“を作っていく、そういった面白い事例を紹介したいと思います。

【堀江の近くの商業施設のビルで】
これは今年春に作った四ツ橋通りのオフィスビルです。ここでは植え込みを取り払い、広場を作りました。街は色々な人達が色々な使い方やものを求めてやって来ます。広場に人が集まり、椅子を置いてお茶を飲むスペースを造る、何も無い広場にも何かを仕掛けると、凄くアクティブなスペースになる。広場は都会には必要なものだと思います。堺市役所も、前の広場をどういう風に生かしていくかがこれからの課題になると思います。デザインはその広場を表す背景として使っていきます、これを見て「楽しいな行ってみたいな」とか、テレビ局や雑誌社が来たりして、発表してくれる。そうするとどんどん活性化して人が集まって来る。それが街の景観となって、同じものが隣に出来て、次に広がっていく。という一つの試みをしたプロジェクトです。

【上海バンドー地域のビルで】
これは上海のオフィスビルの5&6階を使ってレストランとバーを作った事例です。
近くには有名なテレビ塔などがあり、都会の空間としては素晴らしい景観です。ここをどうデザインしたかというと、別にデザインする必要は無いんです。“この景観を如何に生かすか”をデザインしました。結局テーブルと椅子を置いて、周りの空間を取り入れて楽しんでもらうという例です。ここでは席を作らずに、水盤や照明を配置して人が近付かないようにしたことで、後ろからの眺めを良くして街の景観を利用した空間づくりをしたという例です。

【神戸の歯科医院で】
神戸の閑静な住宅地に新たに歯科医院を造りたいという依頼が来ました。ここでは、まちの景観に馴染んだデザインにしていこうと考えました。
医療施設ではサインが出しにくい。でも何かアピールして地域の住民に対して貢献できるような建物にしようと、院長と話し合って、こんなデザインにしました。敷地の真ん中に中庭を作りました。中心を作ることで空間が落ち着くのですね、イコール患者さんも落ち着く、その安心感みたいなものをレイアウトとして作っていきました。また、外のアピールと中に入ったときの落ち着き、安らぎみたいなものを考えました。
特定のものをデザインしていくというのは、そんなに難しくはないのですが、まちづくりでは、皆の”思い“をいかにまとめていくかが難しいと思います。特定のものを詰めていくと一つずつコンセンサスが得られるので作りやすいのですが、価値観の違う人達をどういう風にまとめるか、これはまちづくりでは凄く難しいことだと思います。

【三宮の高層マンションで】
次は、1戸当たり2億円から3千万円と価値観の違う200家族程度が住む高層マンションで、その住人が同じ空間を使って生活する中で、共有のロビー空間をどういう風にまとめていくかという仕事です。
ロビーの真ん中の、柱を取り巻いているのがコンシェルジュカウンターです。クリーニングや色々な案内をしてもらったり、宅配の取次ぎをしてもらったりする所です。普通は壁を背にして造るのですが、表と裏を作ると方向性が出てきて、人に対して不便だろうということで円形にしました。いろんな方向から人が入って来るのに対応することで、どこから来ても当たりが作れ、ロビー空間のひとつのシンボルとしてのカウンターを設けました。共有の空間を、いかにデザインでまとめていくかということも最近良く試みています。このマンションでは、これ以外にゲストルームやスカイラウンジを造りました。

【文化を表現するデザイン】
いつも僕がデザインで思うことは、「時代に合ったもの」「その場所」「それを活性化していく人」をうまく組み合わせていくことで、きっと人が集まってくる空間が出来ると思います。”まちづくり”もそこにヒントがあると思います。僕はそれをデザインで表現していますが、表現にはまず、そこに蓄積された文化が必要です。それをいかに表現するかが重要で、何かを造っていくということは、ソフトとハードが絡み合って成功していくと考えています。

 

講演Ⅱ 能口仁宏氏

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【堀江に帰ってみたら】
1980年頃学生で起業をして、情報誌を作ったりテレビやラジオの番組を作ったりしていました。お金儲けじゃなく、文化を創ってきたのかなと自負しております。でも、親父の家業を継ぐために帰ったとき、堀江はゴーストタウンでした。そんな時期に帰って来て、東京のブランドを呼んで家具屋をやったのですが、お客さんが来ない。なら街を変えようということで、京都での経験を生かし、大阪に帰ってきた第1弾で堀江の活性化に参加することになりました。家具屋の二世の皆を集めて、「なんか変えよう」ということでスタートしました。

【共感のマーケティングを目指して】
通りの愛称を「オレンジストリート」に決め、お決まりのイベントやっていたのですが、「こらアカン」ということで、「日曜日立花通りを若者に貸してよ」ということで仕掛けを考えました。当時南港のフリーマーケットでは、不便な場所に5千人が集まっていたので、「立花通りでやったらアメリカ村も近いから、500人は集まるやろう」ということで始めました。第1回は1992年の12月で、バブルではじけた後の駐車場を全部借り切ってやりました。一方ショップでは店の前でワゴンセールなどをして、なんか通りでやっている演出をしてフリーマーケットをスタートさせました。「人集め」はただ単に思い入れのイベントを手掛けてもだめで、来場者の見込み立てて開催する必要があると思います。
約2千人集まったことに味を占め、第2日曜日はフリーマーケットの日ということで定着を狙いました。「続けることに意義がある」ということで、デザインを重視した地元密着的なお祭りで、地元中学校のブラスバンドや、駐車場で芸大生に「ライブペイント」してもらったり、「立花通り来たらこんな変わったことやってるでー」というものをやりました。人の来ないゴーストタウンに人を来させるためにゲリラ的な手法でスタンプラリーなどもやって、若者がやって来るようになりました。商店街のイベントということではなく、若い人が行ってみよか、友達がやってるねんといった共感のマーケティングをすることが大切で、おしゃれなイラストとロゴをイラストレーターに描いてもらったアイキャッチを作ってはじめま、「今日はフリーマーケットの日や!」と子どもが言うようになりました。
ここで大切なことですが、イベント会社に高い費用をかけて発注するのはだめで、新聞広告打つ費用をフリーマーケットやビジュアルの費用にかけました。若い子にイラストを描いてもらったら費用も安く上がります。若い子に費用をあげていくことも大切なことです。

【有名ブランドが雪崩を打って堀江に】
やがて、家具屋の連中からも、フリーマーケットに合わせて「ベストカップルコンテスト」をやろうと、結婚予定のカップルの人気投票をしてもらいました。投票するカップルや若い子が集まり、「これで家具売れなかったらあんたらのせいやで」という風なイベントやったりしました。苦労話では、商店街のうるさい人達に話をしておく必要があったり、駐車場を土曜に行って空けていておいてもらう打ち合わせをしておく必要があったりと、そういったきめ細かな活動が成功につながったと思っています。
ぽつぽつと店が出来てきました。そのうち裏原宿にあるような行列が出来る店が出店してきたり、アメリカ村の店が堀江に店を出したりという雰囲気になってきた。家具屋の中にも、箪笥家を止めておしゃれなインテリヤショップをやる店が出てきました。そうして、ここにおられる間宮さんの作った「ミュゼ」という店が出来ました。そんな流れの中で、有名ブランドが雪崩を打ったように店を出すようになっています。15年前のゴーストタウンが、フリーマーケットから始まってこれだけの賑わいのあるおしゃれなストリートになったのです。
人がしんどいこと、人が嫌やと思うことをする。うるさい人も堀江を愛しているから皆で話を聞いてあげることで、皆が「今度もやろう」という気になったりもする。今回最後にはもう一回家具の街を知ってもらおうということで「堀江スツール」という初めてのデザインコンペをやりました。審査員に間宮さんを迎え、立花通りのスツールのコンペをやりました。290も作品が集まって、実際に10個それを作りまして、「デザイナーズウィーク」で展示もしました。人気投票には500人くらい来ていただき、来年はその中から商品化できるものも出てきます。有名になられた間宮さんに続く、若い人を堀江から育てていくことも内容に入っています。堀江はいつも前向きにがんばっています。また見に来て下さい。どうもありがとうございました。

 

講演Ⅲ 中井政嗣氏

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【苦労の末の誕生から】
堺高島屋の地下にございます千房、大変お世話になっています。昭和48年オイルショック真只中80万の預金しかなかったとき、ある金融機関の融資で千房は誕生しました。お好み屋を受け継ぎ、結婚して女房と2人ある日曜日、道頓堀千日前に出てきたとき、「こんなところで商売がやれたら夢みたいやな」と憧れ、苦労の末に千日前に移ってきました。千房誕生から来月9日で33年になります。

【みなの心をひとつにしたい】
「どないしたらお客さん喜んでくれるやろう」「どないしたらまた来てもらえるやろう」そういう内部要因が原因だと捕らえたお陰で1年足らずでお客さんがグググット伸びて行きました。そんな中、平成2年道頓堀1丁目に自社ビルを取得しましたが、「どないしたらお店に人来てくれるやろう?」という思いでいたとき、道頓堀商店街の長老から「会長」の指名が来て、「喜んで、是非やりたい」と引き受けました。なぜ受けたか、それは「うちの店に人来てもらうには、道頓堀商店街に人を来てもらわなアカン」、その仕掛けを会長になれば出来ると思って引き受けました。しかし、第1回理事会で「祝日に道頓堀筋に国旗を掲揚しませんか」と提案したら、「継続審議」ということで持ち越されました。
やがて、道頓堀筋でも立花通り商店街のようにイベントが始まっていくんですが、先程の話と同様、宣伝は全部丸投げです。「こんなん辞めとこ!」「我々で汗かこう!」生活保護を受けて大成された方はいらっしゃいません、行政の補助金や助成金をあてにしていたらアカンと思い、私達が汗をかいて、知恵を出して、人脈作ることが大事との信念で活動していました。ある年の6月、昔を思い出しながら、「明日天気になーれ」というキャッチコピーでテルテル坊主をお客さんに配り始めました。流行歌と同じ題名ということで、歌手2人を1日商店街会長にしてキャンペーをやりました。マスコミの取材のお陰で、商店街も大ヒットでした。
次は七夕です。竹と短冊を用意して「道頓堀から星に願いを」とキャッチコピーを賑やかにしたことで、またマスコミがバンバン取り上げてくれました。夏祭り、秋祭り、阪神タイガース優勝、ワールドカップ日韓大会、これでもかという人が集まった。警察や機動隊が出るなど、あの戎橋に2千人の人が集って何千もの人が橋から飛込みました。死者が出るという悲しい出来事もありましたが、今は色々な方の努力で水質が良くなり、魚が住み、かもめが飛んでいます。

【商店街の心が一つに】
“道頓堀”=“食い倒れ”といわれていますが、中座・角座・朝日座・弁天座・浪花座の5座がここにあったから飲食店が潤ったわけです。その一つ浪速座がパチンコ屋になる前に、その前でステージをつくり「道頓堀飛び込みステージ」やろうということで、商店街に1口1万円の寄付を募り3ヶ月やりました。素人さんでもこんな桧舞台を経験してもらいたい、若者を育てていきたいとの想いがありました。やる事なす事全部マスコミが取り上げてくれました。こんな活動を続けていくうちに、12月に入って商店街の役員会の席上で「国旗揚げませんか」と言ったときには、誰一人反対はありませんでした。商店街に国旗が揚がったとき、はじめ反対の人が「”寅さん”の映画を見ているようですね」と言ってくれました。そのとき、「ああ、これで商店街の心が一つになれた!」と思いました。それからは何やってもうまくいくようになりました。そのとき感じたのですが、「道頓堀に人集まってもらおうと思うたら、ミナミに人集まってもらわなアカンねん」と思い、周辺の商店街を集めて何かしませんか、と呼びかけをしました。「何であんな北へ行かなあかんのか」と言う人に、「ミナミにお客さん集まってもらおうと思うたら、大阪にお客さん来てもらわなアカンねん、同じように支え合わなアカンねん!協力し合わなアカン!」と思いました。

【地元の人がまちの価値を認めること】
今をどうするのか考えるとき、地元出身者でない人のほうが価値を判れると思うのです。「大阪にこれだけ価値があるのに地元の人が価値を認めない。価値を知らない。」これが問題なんです。将来日本の人口は半分になる予想がある。それを考えると、おなじ牌を取り合うことになる、減って当たり前でどれだけ取り合うか「もっともっと価値観を訴えていくことが必要と考えています。人口が減っていく、それに見合った環境づくりをやっていく必要がある」と思っている。活性化の要素に必要なものに、「若者がおるか?」年寄りは金を出しても口は出したらアカン。結果を望んだらアカン。「よそ者がおるかどうか?」内輪だけでだめです。「バカモンがおるか?」バカモンは貴重な存在です。これが凄いヒントを出してくれる、固定概念を破ることに繋がるのです。

【自分達で出来ないことを行政にお願いする】
さて、この堺市の菩提町に住んで28年、いい町です。好きです。堺のまち、どんなまちにしたいのか、行政の人はホントに必要なところに金を使ってほしい。「どんな街にしたいのか」は、街の人が考えないと駄目です。「現場の人達はどうですか?」ほんとにそれを望んでおられますか、「望んでいるこんな街にしたい」ということと、今の現実のギャップが問題なんです。自分達でやって出来ないことを、行政にサポートお願いすることが「まちづくり」の原点やと思います。
「自分達の街に誇り持っていますか」僕はこれがなりよりも大事だと思います。自分の街をボロクソに言って何が発展するのだと思う。「堺のこの街はええ街やなー」と言ってこそ前向に考えられると思います。

【協調・共鳴・共感のできる堺のまちに】
「ピンチはチャンス」と言いますが「ピンチはやっぱりピンチ」なんです(笑)、幹部が辞表を出したとき、「お前は辞められても俺は辞められへん。」抜けられないなら、ボヤかずに「じゃ、どうしたらよくなるの?」との思いで改革をしていく、その中でようやく「ああ、あのピンチの時がチャンスやってんなー」と感じるのだと思います。今の堺、このまま放っておいたら、取り返しのつかないことにならないか気掛です。「何かを始めなアカン」ということです。毎日のチョットずつの積み重ね、努力です、「チョット汗掻こよ!」「チョット金出そ!」「チョット知恵出そ!」「チョット人の?がりを作ろう!」ということで、今日は高島屋さんが来ておられるので、きっと金も沢山出していただけると思いますが(笑)。金出せる人はお金を出す、知恵出せる人は知恵出す。それぞれの役割がある。協調・共鳴・共感していながら、この堺のまちに誇りを持って、皆さんとともに私も取り組んでいきたいと考えております。どうも、ご静聴ありがとうございました。

 

第2部 パネルディスカッション

第2部の懇親会では、コーヒを飲みながらパネルディスカッションを聞くという形式で、参加者の方々からの質問を元に3名の講師の方々が思う商店街やまちの活性化、これまで行ってきたまちづくり活動や将来の夢などを語っていただきました。

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【パネリスト】
間宮 吉彦氏
能口 仁宏氏
中井 政嗣氏

【司会】
福永 恵一(「そや堺ええ街つくり隊」副隊長)
質問1
能口氏・間宮氏へ、堀江地区の人気がいまのように上がってきた要因、人が集まってきた要因は何ですか?
(能口氏)大阪の人は何もせんと文句を言っている。「東京嫌いや!」とか、堀江はいいものは大歓迎している。「大阪臭さ」がないのが堀江ブランドかもしれません。何でも努力することが必要で、堀江は良いものは取り入れていいものを造っていこうとしている。
(間宮氏)地域の歴史があって、栄枯盛衰を繰り返しているからだと思います。そのときで違いますが、それがファッションであったり色々なものであったりしているからだと思います。また、堀江は環境がいい、緑・公園街並みが結構綺麗だと思う。大阪は看板が多すぎる、中身のないところは看板が大きくなる。中身ある店は看板を出さないでも人が来てくれる、だから自然と街の景観が綺麗になるのだと思います。
質問2 場内から質問
中井社長へ、堺市内の出店にどのような環境を望まれますか。
(中井氏)飲食店の立地条件として周辺住民が40万人と決めている。「まちづくり」にも言えると思いますが、魚のいないとこで魚は釣れない。味は力なりで、人を集めること。「金欲しいときに金を追わない、人を追え」といわれた。社員に胸張って自信を持って働いもらえるような会社にしなくてはと思った。「経営学は知らんが経営のことは良く知っている」と言った松下幸之助のように、経営は生き物だと思っている。店づくりは、地域に応じた店作りを基本にしている。良い店は良い従業員をつくる。人は環境によって育つと考えている。堺東のお店は、高島屋さんのお誘いがあったからこそで、堺にはあと1・2軒持ちたいと思っているが、市場調査ではもう少し後、また他所で出していくことになると思います。
質問3
低価格路線について、3人の方の考え方を教えてください。
(能口氏)最近は安い高いが両極端ですが、堀江では1万円くらいのソファーを数多く売っている店が出来ている。安いものは企業努力もあって安いなりのものに仕上がっています。価格に似合うだけの価値の品物でやっていけると考えている。
(間宮氏)安いものではデザインが必要視されていないが、上海のラーメンでも高い安いがある。差があってもそこで食べるものをどのように売っていくかで、その場で求めるものが(求める値段で)あったらそれでいいと思う。
(中井氏)千房は高いということで有名ですが、低価格路線を継続している企業で伸びた会社はない。会社の中を色々見直しました。従業員が年をとってもやれるような店を作りました。低価格に振り回されず、付加価値を大切にする、そんな仕組みづくりを大切にしている。人を集める努力をせんといかん、それと、従業員に結果が出るような目標をもって努力するように伝えている。
質問4
能口氏に、若者が集まるイベントの工夫はどんなものですか、今集まる堀江立花通ユニオンの参加者は何歳くらいの人達ですか?
(能口氏)若い人が楽しんでもらえるまちづくり、ええなと感じる人をアメリカ村から呼んできました。「共感のマーケティング」といっている。同じように考えることが大切、心の仕事を大切にしている。若い人に「これイケてる」と聞くことを心掛けている。今50歳代ですが、はじめたときは30歳、「我々2世の跡継ぎが台頭してきてくれたらな」といった思いで今はやってます。
質問5(場内から)
間宮氏に、堺市内の住宅地にも、「とりあえず作りました」といった広場がある。人の集まる広場とそうでない広場の違いは何ですか?
(間宮氏)昔、路地という空間があった、車が入れなくて、家が近いことで地域のコミュニティーがそこにはあった、それが人の集まる空間になっている。広場は広いが、人を集める仕掛けをしないので、そこで行う行為を演出する必要があると考える。私は場を作るほうで、動かす(演出する)人間ではない。両方が一体感で行わないといけないと思います。
質問6(場内から)
能口氏に、堀江で商売始めるときに、ここじゃ無理と思ったことはありませんか。またそれをどうやって立て直そうと思いましたか?
(能口氏)家具屋は広い場所が必要で、自分持っている倉庫でやるしかなかった。インテリア販売は難しいが、夢を持ってやっている。堀江でしかやれなかったというのが正直な答えです。
質問7(場内から)
中井氏に、出店される際に思うような成果が得られなかったとき、何から手をつけられてこられましたか?
(中井氏)イベントを打つとき、若い人の知恵が必要です。しかし、これから定年を迎える人が増えてきます。彼らは知的な財産を持っている。両者をドッキングさせて手をつなぐことが大切と考えます。自由な発想とはいえ、個性が強いと和が保てなくなる。若い人とお年寄が集える場所づくりが必要と考えます。商店街活性の「人が集まる10か条」は商売の心得でもある。
1. 人が集まるところに、人は集まる
2. 夢を見られるところに、人は集まる
3. 噂になっているところに、人は集まる
4. 良いものがあるところに、人は集まる
5. 快適なところに、人は集まる
6. 満足を得られるところに、人は集まる
7. 自分のためになるところに、人は集まる
8. 感動を求めて、人は集まる
9. 人の心を求めて、人は集まる
10.自分の存在感を認めてくれるところに、人は集まる
「何も無いな」といった感じがあったら、人は去っていくと思います。
質問8(場内から)
間宮氏に、ナンバ丸井の環境デザイナーを担当されましたが、その際に大阪ミナミのターミナル立地を意識された部分はありますか?キーワードになった部分があれば教えてください。
(間宮氏)大阪に東京を持ってくるのではなく、ミナミだがキタの要素も融合していこうと思った。混ざり合って溶けるのではなく、個々はキッチリとした形で、それが空間として一つになり「ミングル」という言葉を作って提案しました。難波には要素が多く、それをすべて入れてみたかった。ぐちゃぐちゃに見えるが、それがリピートに繋がっている。整理しないといけないが、その中で整理されない部分をデザインしていくのが環境としてのデザインの仕事。これを一つのチャートとして配布し、各個店はそれを元に自分の店をデザインしてもらった。
質問9
中井氏に、ナンバ丸井のそばに、新種の店を開店しましたが、この狙いといったものはなんでしょうか?
(中井氏)100mくらいで千日前本店があったり心斎橋にもあったりと、競合しているやないかということですが、道頓堀にも(千房じゃない)お好み屋がある、競合している。「千房が店を出さんかったらどっか出すやろう」で出店しました。切り口が違うので、問題はないと思っている。丸井が出来て高島屋も潤っている。周りの環境が変われば街も変わる、新しい街のコンセプトがあったので「エレガンス」をあそこに持っていった。
質問10
能口氏に、どうすれば持続するイベントが出来るのでしょうか?堀江一帯をこれからどんな街にしょうと考えておられますか?
(能口氏)持続するには、自分が楽しめることを続けていく。人の心を重要視している。これからどんな街は、ウエブのホリエドットコムや美術関係情報誌・音楽ができるお店など、大阪出身じゃない若い人が集まってきているので、コミュニケーションをもって取り組んでいきます。
質問11
中井氏・能口氏へ、新しいことを仕掛けようとするときの秘訣があればお伺いしたい。
(中井氏)人は説得しても動かない、納得しないとだめ。どうしたら納得するか、「情」しかないと思う。日頃の行いで、「あの人のためなら」が必要になる。リーダーは人間的に好かれんとダメ。リーダーには度量が必要と思います。勝つコツは「コツコツ勝つコツ」です。
(能口氏)汗をかいています。堀江もスムーズじゃない。ぶち当たってしんどいことはあります。それを皆が見ていてくれて、「能口のやっていることには協力しよう」という人がいてくれている。うるさい人には前もって本音で喋ること。あとは可能性のあることをやらないとダメだと思います。
質問12
地域の人達に積極的に参加していただく秘策はありますか?
(中井氏)一人では何も出来ない、必ず興味を持ってくれる人が現れます。その人からの連鎖があると思う。また、めったに来ない人が来たときは、しょうもないことを言っても褒めちぎること、その人の存在感を認めてあげる必要がある。でも、仕事は優先してもらうこと。来たとき楽しいことに繋がる何かを考えておくこと。只、そのときに大切なことは会議を尊重してもらうことです。後で来て会議をひっくり返されたら今までやって来た経緯が台無しになるから。
(能口氏)こまめに、連絡することです。たまに来る人も時々エエことを言うので、その人の得意とするものを考えてやってもらうこと。人と人とが大切と考えており、「皆でやろう」という気持ちで、その人の良さを引き出してやれると思う。
質問13
3人さんに、現在の夢は何ですか、どんなとき現在の仕事をしていて良かったなーと思いますか?
(間宮氏)夢ですか?僕の仕事に対してオファーが来て、それに返す仕事をしていくこと。常に新しいことをプラスして返している。新しさが人を惹きつける。常に新しさを一つずつ作っていくのも面白い。僕は依頼に対し、人が考えていることに次のステップを提案していくことです。止まらずにやっていきたい。
(能口氏)1980年代は情報誌やライブハウス‘90~’00は堀江のこと、以後はデザインをテーマにコンペなどを考えている。デザインを考えていくことも必要だと思っている。ものを作っていくことを考えてきた。今はいろんなことをマルチにやって生きたいと思っている。
(中井氏)3つあって、会社が掲げる夢、家族で掲げる夢、個人の夢がある。会社が掲げる夢は100店舗100億を目標にしている。家族で掲げる夢は、健康で幸せなこと、仲良く継続していけたら心を満たしてくれると思っている。個人の夢は、関西演芸協会が現在瀕死の状態で、演芸協会も演芸場をつくりたいと考えている。維持が大変だが、劇場をつくりたい。
今、修学旅行生に体験学習をさせて、商いの原点を見てもらったり私の話を聞いたり、便所掃除を皆でやっている。商いの原点は掃除だと思います。子どもとお年寄りが一体となって子どもを指導する。考え方、捕らえ方が地域の考え方になってくる。堺東の駅でごみが落ちていたらごみをひらいましょう!これは理性と感性の違いです。自分の家やったらひらいますよね。飲食業は清潔が命、市役所の周りが汚れているとき、そのゴミがひらえるかひらえないか。ひらっているひとを見た人が、同じことをする。これが「和」だと思います。一人でもやり続けてください。間違いなく「和」が広がります。出来ることからやっていくことが何よりも大事だと思います。
質問14
最後の質問として、堺東を何とか良い街にしていこうと考えております。我々にメッセージなりエールがいただけたら幸いです。
(間宮氏)堀江のように、すごい人が周りにおられる、そういう人達と何かを作ることがすごいと思います。学校で学生に教えていますが、大学生にとって「まちづくり」は凄く楽しみなことなんです。無責任なほどアイデアが浮かぶと思います。空き店舗なんかで学生にアイデアを考えさせる。それを官が指導して、民が活性化していくこと。色々な人を巻き込んでやっていくことで、面白いアイデアが生まれて来ると思う。
(能口氏)今日、堺東に早く着いて商店街を見てきて責任は重大だと思います。がんばってください、「これから色々やることはあるなー」と感じた町です。
(中井氏)関心を持つことが「愛」だと思います。今は余りにも周りが無関心で「愛」がない。「お互いもっと関心を持とうよ」と思います。この「愛」にどう関わっていくか、今の気持ちを伝えていけたらと考えます。「和」が点から線になっていくことが「まちづくり」のベースやと思います。